6年目の3月11日
祈りの時の中で
6年目の3月11日14時46分を黙祷とともに過ごしました。
ちょうど妻とショッピングモールにいたのですが、
そして、祈りの中にいる感じをしました。
命灯会
先日、地元のお寺で、
命灯会という震災の法要をする会があり参加してきました。
震災で亡くなった方の家族が集まり、
御冥福を祈りながら、
もちろんそのことに加えて、
主催者と住職の趣旨に
未来への灯火
5年前の3月。
きっと毎年震災についての報道特集され、
心が辛くなるであろうこの時期に、
何か自分にとって、
当時彼女に一緒になって欲しいことを伝えた。
だからこの時期になると、その時のことが妻との会話で出てくるのが、
うれしく思います。
(もしごめんなさいって言われたら、
さて、命灯会のおかげか3月を、
当時の辛く悲しい気持ちを思い出すばかりではなく、
自分自身と大切な人達を、大切にして生きているか?
そんなことを改めて、自分に問う月にしようと思った。
震災の際に津波にあいトラックの上で生死の境を体験した住職が、
法話の中で
「私たちの毎日は、
トラックの上にいたこととなんら変
だからこそ、流される毎日から、
明日が必ずやってくると約束されている人は、
誰一人としていないことすら、
毎日の生活に追われていると、忘れてしまっている。
電気も水道もトイレもガソリンも当たり前ではなく、
不自由なく生活している毎日も、
当たり前でもないことを一つひとつ確認しながら、
その中でも自分のシアワセをより増やして生きたいと、
あらためて思うこの3月でした。
歓び溢れそうな春が近づいてます。